LUM No.89 (23.10.1)

スリランカ人Dさんが勝利和解!

会社の理不尽な言い訳通らず

 87号の労働相談で「派遣元、派遣先と本訴で闘う」と紹介したDさん、9月に勝利和解が成立しました。
 そもそも会社側の言い分は、理解に苦しむほどおかしなものでした。「本人が転んだだけで、事故など起きていない。労災になること自体がおかしい」「したがって会社に支払い義務はない」というのです。

 労働基準監督署が十分な調査の上労災と認め、それにより強い痛みが残ったとして障害等級11級に認定した労働災害を「事故などなかった」という理不尽な会社の言い分。こんなことが通るわけもなく、本人と組合が納得できる金額での和解となりました。

 Dさんが組合に相談に来たのは2020年3月でした。労災認定は受けていましたが、その時の主治医は「これ以上治療しても回復の見込みがないので症状固定にする」と、治療を打ち切ろうとしたのです。

組合がなかったら3年前に放り出されていた

 痛みの他にもいろいろな症状があったDさんは「ここで打ち切られたら生きていけない」と地域の区議会議員の紹介でLUMに来たのです。「あの時の絶望的な気持ちを思い出します。組合の支援がなかったら、どうなっていたかわかりません」と、親身なサポートにDさんは感謝してくれました。


労働相談より

夜10時まで働いてもわずか月13万円

 Mさんは、埼玉県のインドレストランで働いていたコックさんです。「時間給が最低賃金を下回っている」「残業手当が払われていない」と今年1月、LUMに相談に来ました。

 賃金は毎月13万円で、9時半から22時頃まで、週6日働いていました。週7日働いたこともたびたびでしたが、残業手当、休日出勤手当は全く払われていませんでした。13万円だけ、それも封筒に入れるでもなく、現金をそのまま渡されるだけでした。

 組合は未払い賃金を計算し、会社に要求しました。会社は弁護士を雇い、弁護士を通して回答してきましたので、組合は「よかった」と思いました。外国人の社長の場合、日本の法律をよく知らない場合が多く、弁護士と交渉した方が解決が早いからです。

 ところが、今回はスムーズにはいきませんでした。弁護士が会社の言いなりで、インドレストランの実態を知らないのです。社長が「朝は9時半に準備を始める必要などない。カレーを温めるだけなのだから開店10分前に店に入れば十分間に合う」と言うと、そのまま組合に回答してきました。

 しかしMさんの説明は明快でした。「ナンを焼く窯は暖まるまで時間がかかるので、2時間くらい前にはスイッチを入れなくてはならない。だから9時半頃に店に入って11時半の開店に間に合わせる必要があった」「ナン生地は、冷蔵庫から出して常温に戻してから焼く方がおいしいので、1時間くらい前には冷蔵庫から出していた」「少なくなったカレーの補充やサラダの準備などもしなくてはならない」と。

 しかし会社は、なんと「毎月22万円渡していた」と言い出しました。実際には13万円の現金を手渡ししていただけなのに。この会社、他にも、賃金台帳もない、時間管理もしてない、賃金明細書も発行してない、有給休暇も与えてない等、法律違反が満載です。

 Mさんだけの問題ではありません。日本で営業するからには日本の法律を守らせなければなりません。刑事告訴も視野に入れて、今後交渉をしていきます。


(会員からのリポート)

「出稼ぎ」生み出すベトナムの現実

 ベトナム在住の新妻東一さんからの投稿が届きました。安い賃金で日本へ働きに来る、若者たちの厳しい現実が語られています。全文を掲載します。

*  *  *  *  *

 私の妻はベトナム人だ。出身はタイニン省、ホーチミン市から車で2時間、100kmほど離れた街に生まれた。さらに車を走らせると、そこはもうカンボジアだ。

 私の妻は7人兄弟の下から2番目。男兄弟4人、女姉妹3人の大家族に生まれた。両親はベトナムで1930年代に成立したカオダイ教の教徒だ。実はタイニンの街はカオダイ教徒がつくった街なのだ。妻の父親はベトナム戦争当時、右手の人差し指を折り、南ベトナム政府軍の兵役を拒否、街の赤十字病院で働いていた。看護師として働いていた妻の母親と結婚した。

 ベトナム南北統一後は農業を営んでいた。当初はコメ増産運動で稲作を手がけたようだが、その後、シュガーフルーツやランブータンといったくだものの栽培をやって子供たちを育てた。ただ、私が妻と知り合った19年前は、彼女の家は木造の、半分壊れかかったような家だった。妻が幼いころは肉などもめったに口にできなかったという。生活は苦しかった。

 長男は20数年前に事故で亡くなっている。彼の一人娘はまだ2歳のときだった。もっとも出来のよい息子に先立たれてしまった。両親の悲しみは深かった。

 次男より下の男兄弟はみな職業らしい職業についていない。小学校で中退か、高校にも進学していない。カフェを経営してみたり、賭け闘鶏やギャンブルに夢中になったりで、真面目には働かない。バイクの修理屋などをはじめても続かない。

 娘たちは高校卒業後、都会に働きに出た。私の妻は学校の成績も多少よかったので、短大に進学した。学資は米国に住む母方の叔母にお金を借りた。

 姉はホテルのバーテンダー、妹は台湾企業に勤めた。それぞれオーストラリア人と台湾人と縁があり、国際結婚した。今はそれぞれ夫の住む国で暮らしている。

 私が妻と出会った頃、彼女はホーチミン市内の絵画ギャラリーで働いていた。私はそのギャラリーでベトナム人現代油絵画家の絵を購入したのが、妻と知り合うきっかけだった。

 彼女は叔母に気に入られて、米国へ移住し、進学、その後米国で働いて、一族の稼ぎ頭になることが期待されていた。しかし、9.11のテロ事件以降、米国はビザの発給を厳しくしており、2回まで面接したものの、米国行きのビザはおりなかった。偽装結婚の話も出たが、彼女は断った。そして私に出会って結婚することになる。

 ベトナムから日本へ渡り、技能実習生や留学生として「出稼ぎ」をする若者たちのバックグラウンドとはおおよそこのようなものだと理解してもらいたいがために、妻の家族の話を書いた。統計や論文などでは伺いしれないベトナムの現実を理解していただければ幸いである。


(特集)いまあらためて「在留資格」を考える

 外国人が日本に滞在するためには「在留資格が必要」とは知っていても、どんな種類があるのか、仕事をすることの出来る在留資格にはどんなものがあるのか、何年働けるのか、日本は単純労働者は受け入れないはずなのに、コンビニのレジなどで外国人がたくさん働いているのはなぜかなどわからないことが多いのではないでしょうか。

 2023年9月末現在で、在留資格は29種類あります。出入国管理庁が発表している一覧表を見ると、29種類のうち19種類が「就労が認められている在留資格(活動制限あり)」になっています。

 この「活動制限」とは、それぞれの在留資格でできる活動が厳密に決まっていて、それ以外の活動(仕事)はしてはならないということです。例えば「技能」という在留資格は「外国料理の調理師、スポーツ指導者等」となっていますので、中華料理店やインドレストランのコックさんはこの在留資格となり、それ以外の仕事はできません。日本語の堪能な中華料理店の調理師さんが、通訳の仕事をすることは出来ないのです。但し報酬を受けなければOKです。

人材確保のために在留資格を次々と新設

 身分・地位に基づく在留資格は「活動制限なし」なので、どんな仕事でも出来ます。
コンビニのレジで働く外国人は、「活動制限なし」か「留学」「家族滞在」が多いと思われます。「留学」「家族滞在」は就労が認められていない在留資格ですが、入管に「資格外活動」を申請し許可されれば週28時間以内で働くことが出来ます。職種は問いませんが、留学生が「風俗業」で働くことは禁止されていて、見つかると退去強制の対象になります。

 在留資格は、日本政府の都合によって、増減がありました。政府のご都合主義を一番はっきり表しているのは「介護」です。介護者不足を、介護労働者の労働環境、労働条件を改善するのではなく、外国人を入れることで乗り切ろうという魂胆が透けて見えます。現在介護の仕事をしている外国人の在留資格は「介護」の他に、「特定活動」で滞在するEPA(経済連携協定)介護士、「特定技能」、「技能実習」、そして永住者・定住者など身分に基づく在留資格者とさまざまです。

外国人労働者の人権を保障する制度を

 介護に限ったことではありません。特定技能もまたしかりです。労働力が不足しているなら、きちんと労働者として受け入れればいいのです。一時日本で働いて、そのうち帰国してもらいたいとなどという考えはもう止めて、日本人も外国人も、人権が守られ、生活者として共生する社会を目指す時期が来ています。

日本に住む外国人数は307万人

 出入国管理庁は、2022年末の在留外国人数を発表しました。それによると、195か国から3,075,213人が日本で生活していることが明らかになりました。
 1番多いのは永住者で、2番目の技能実習の2.5倍です。日本に生活基盤を持つ身分・地位に基づく外国人を合計してみると155万人で全体の半分以上です。

 国ごとで見ると著しく増加しているのはベトナムです。2012年は52,367人、2022年は489,312人なんと9.3倍で、この半分以上が技能実習生です。ネパールは24,071人が139,393人(5.8倍)で、約半数が「留学」と「技術・人文知識・国際業務」です。韓国は489,431人が411,312人で減少しています。この理由は「特別永住者」が高齢等で減少しているからです。移り変わりも歴史を反映しています。

 政府は「移民政策はとらない」と何回も声高に叫んでいますが、実態はすでに移民社会です。それなのに外国人の生活環境は整っているとは言えません。子ども達の教育の問題、医療通訳の問題、数え上げればきりがありません。これは政府が「定住してもらいたくない。いずれ帰国してほしい」と思っていることの結果です。このまま放置するのではなく、早急に改善すべき問題です。

 ずっと日本で暮らす人も、いずれ家族の元に帰る人も、日本にいる間は、人権が守られ楽しく働き生活できる社会であってほしい、そのためにLUMも力をつくしたいと思います。


編集後記

 今号は、入国管理庁が発表した在留外国人数を特集しました。毎年発表されているもので、日本に暮らす外国人の数がわかります。でもここに出てこない人たちがいます。難民申請中の人を主とする「日本にいない」とされている人たちです。数ではなく、一人一人の生活、人権に目を向けた調査・統計が必要です。

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