外国人の人権をめぐる重要な2つの判決
~ 遅すぎるとはいえ、大きな一歩 ~
2つの大きな成果が、相次いでやってきました。1つ目は、クルド人男性の難民不認定の取り消しを求める裁判で、今年5月に出された札幌高裁の「難民に該当する」との判決を受けて、札幌出入国在留管理局は8月9日に難民と認定しました。
2つ目は、東日本入国管理センターで2014年3月に亡くなったカメルーン人男性の遺族が起こした損害賠償を求める裁判で、水戸地裁が9月16日に165万円の賠償命令を出しました。
こうした訴えは、当事者と支援団体がこれまで何回も請求し、棄却され続けたもので、運動の積み重ねがやっと実った点で大きな一歩と言えます。これを力にして、さらに大きな前進を勝ち取りましょう。
トルコ国籍のクルド人に札幌入管局が難民認定
母国での迫害を逃れて、2014年に日本に入国した20代(当時)のクルド人男性は、2度にわたる難民認定申請がいずれも認められず、やむなく不認定処分の取り消しなどを求めて19年に札幌地裁に提訴しました。
一審では請求が棄却されたものの、二審の札幌高裁は「迫害の恐怖を抱く客観的事情がある」と判断、今年5月20日に男性が難民にあたるとする判決を出し、国が上告せず、判決は確定しました。この判決を受けて札幌出入国在留管理局は、難民不認定処分を取り消し、クルド人男性には8月9日に証明書が交付されました。
この成果を力に2千人のクルド人に光を
トルコ政府からの迫害を逃れ、日本に初めてクルド難民がやってきてから約30年、ようやく難民性が認められました。しかし、ここまでたどりつくまでに、30年の歳月がかかったのです。それも政府みずからが判断したわけではなく、裁判所の判決を受けてやむなく認定したものです。難民を支援する弁護士からは「今後も公正に難民認定がなされるか疑わしい」との指摘もあり、今回の勝利判決を力にしてさらに運動を強めていく必要があります。
帰国すれば命も危ない
現在、トルコ国籍のクルド人は日本に約2,000人います。その多くが難民申請を行なっていますが、これまで難民として認められた人は一人もいませんでした。退去強制令書を出されても迫害を逃れて逃げてきているのですから、帰られるわけがありません。帰国すれば命の危険さえある以上、難民申請が不認定になっても、ねばり強く難民認定を求めていくしか生きる道はありません。
今回の難民認定は、支援者・関係者の長年の運動が実った大きな成果でした。しかし、この男性1人だけで終わらせてしまっては、事態はまったく改善しません。認定された男性の「長い闘いに力が尽きそうだった。実現された正義が私以外の人にとっても希望になることを願う」とのコメントにあるように、運動はこれからも続きます。
高裁判決を機に難民認定基準を見直せ
日本は国連の難民条約に加入しており、難民を保護する義務を負っています。それにもかかわらず日本政府は、難民の定義を極端に狭く解釈することで認定の幅を狭め、ほとんどの人が不認定となっています。2021年は認定者74人(これでも過去最高、昨年は47人)で認定率はわずか0.7%に過ぎません。これはイギリス(認定率63.4%)やアメリカ(同32.2%)など欧米各国と比較しても異常に低い数字です。国際社会から批判を受けるのは当然です。
クルド難民に関して言えば、日本政府がトルコ政府との友好関係を優先し、トルコ国籍クルド人に対する人権侵害の実態を正しく評価してこなかったという問題があります。政府は、世界の難民が置かれている厳しい現実から目を背けることなく、札幌高裁判決を機に現行制度を見直し、認定率を国際水準に高めるために、難民認定の基準の改善などをただちにおこなうべきです。
カメルーン男性の遺族に賠償求める判決
2013年10月に来日したカメルーン男性は、成田空港で入国を拒否され、そのまま東日本入国管理センター(茨城県牛久市)に強制収容されました。糖尿病や心臓の持病を抱えていた男性は、翌14年3月に体調不良を訴え、「アイムダイイング(死にそうだ)」と叫んで収容所職員に助けを求めたにもかかわらず、病院に救急搬送するなど何の手立て受けられず、男性は3月30日朝、収容所内で変わり果てた姿で発見されました。
人権を踏みにじる入管行政の改善を
この死亡事故に対して遺族らは、「不調を訴えていたのにもかかわらず速やかに救急搬送などを行わず適切な医療を受けさせなかった」などとして入管職員の注意義務違反を訴え、国に損害賠償を求めて17年に水戸地方裁判所に提訴しました。
水戸地裁の判決は、「心肺停止の状態で発見されるまで救急搬送を要請しなかった過失があると認められる」と指摘し、165万円の賠償を国に命じました。一方で判決は、「入管職員らの注意義務違反により死亡したとは認められない」とし、国の過失にまでは踏み込みませんでした。
病気になったら病院で治療を受けることができる――こんなことは当然であり、すべての人に保障された基本的人権です。収容された外国人も同じです。病気で苦しむ収容者がいて重篤な状態ならば、病院に搬送しなければなりません。
それを何もせず放置したのは、収容所職員の人権感覚のなさを指摘できます。「具合が悪い」と訴えても「仮放免になりたいがための詐病ではないか」と疑い、真摯に対応しないことが、どれだけ収容者と家族を苦しめてきたことか。そもそも、そうした収容所をつくりあげてきた政府こそ責任は重大です。国は控訴することなく、この判決を契機に、誠実に、抜本的に入管行政を改善すべきです。
これまでも同じことが繰り返されてきた
法務省の資料によると、2007年以降に入管収容所内で亡くなった外国人は17人です。死因は不明の1人を除いて、病死が10人、自殺(「飢餓死」を含める)が6人となっています。病気で亡くなった人も60歳未満がほとんどです。
何の罪もないのに収容所に閉じ込められていれば、不健康な生活とストレスで体調を崩し、適切な治療が受けられなければ、ますます体調は悪化するのは当然です。それを「詐病ではないか」と見て見ぬ振りをするなど許されません。亡くなる寸前、または亡くなってから救急車を呼んでも何にもなりません。
また、自殺者はハンガーストライキで亡くなったナイジェリア男性を含めれば、20代2人、30代2人、40代2人です。送還まで無期限に収容できる制度で、政府にも入管職員にも人権感覚がないとなれば、将来に絶望して生きる気力をなくしてしまうことは、想像に難くありません。絶望から自殺という道を選ばせたのは、日本政府に他なりません。日本にやって来た人たちを、そうした状況に追い込んだ入管行政は間違っています。直ちに改善を!
本多書記長の労働相談日記
(その1)台湾国籍のKさん
社長みずからパワハラ超えて人権侵害
Kさん(34歳)は、2017年2月に物置の組立工事を請け負う会社に入社し、配送・組立作業に従事してきました。トラックにその日回る軒数分の部材を積み、1日に2~3軒、時には4軒分も一人で組み立てます。朝会社に行くのは6時から7時くらい、帰りは22時過ぎることも珍しくありません。これはKさんだけでなく、他の従業員も同じでした。
この会社はタイムカードがなく、出勤時と退勤時に、日付の書かれた1枚の紙に早い人から順に、それぞれが自分で記入するシステムでしたので、他の従業員の出退勤時間もわかるのです。ところが、賃金明細書を見ると、1日2時間分しか残業代が払われていません。他の従業員も同じだと思われます。入手した資料から組合が計算したところ、2年分だけでも400万円近い残業代が未払いだとがわかりました。
それにとどまらず、社長や上司によるパワハラが日常茶飯事でした。この会社の特徴は、社長だけでなく他の従業員にもその人の評価をさせることです。Kさんの上司は、「Kの技量を過大評価していた。深く反省する」などと報告し、社長も「身から出た錆」「中国人は昔から怠け者が多い」などと報告書に書き込んだと言います。これでは、もはやパワハラを超えて人権侵害です。
Kさんも我慢できずに退職して、組合に相談に来たのです。組合が不払い賃金の支払いなどを求めて要求書を出すと、時間外労働は精査するとの回答が返ってきたものの、その後の進展はありません。会社は弁護士を代理人に立てるとしており、法律に則った解決ができるものと考えています。
(その2)フィリピン人女性のMさん
長年働いて患った腰痛が「自己都合」?
Mさんはホテルの清掃員として約20年働いてきました。力を使うベッドメイキングが一番大変でしたが、生活のために働き続けてきました。ところが、腰痛になってしまい、約8ヶ月の休業を余儀なくされました。復職するにあたって、肉体的に働きやすい職場への配置転換を希望して、組合を訪ねてきました。
組合は仕事上の配慮を求めて、ねばり強く交渉を重ねてきた結果、ようやく組合の要望に沿った職場復帰が実現し、Mさんも新しい職場でがんばっています。一方で、休業時の賃金の扱いでは、腰痛を「自己都合」とする会社と、「会社都合」として支払いを求める組合とは隔たりがあり、今後も交渉を続けていきます。
編集後記
今週号は、入管内での死亡者に損害賠償が認められた判決と、トルコ国籍のクルド人に難民認定が認められたケースの特集号になりました。作りながらそうなっていったもので、最初は労働相談ケースをもっと載せる予定でしたし、7年ぶりに「ぼくの国わたしの国」(エジプト編)を復活しようと思っていたのです。
大幅に変更したのは、牛久入管からのベトナム人の手紙(「牛久入管収容所問題を考える会」HP)を読んだからでした。衝撃を受け、これをぜひみなさんに読んでいただきたいと思ったのです。組合は入管内での死亡事故については、以前からあってはならないこととして取り上げてきました。「2007年以降17件」とよく言われますが、これは法務省が正式に発表した数であり、それ以前から死亡事故は発生していたのです。やっと社会的に問題視されたという思いです。
クルド人難民認定も先の見えない闘いでした。クルド人問題に取り組んでいるみなさんに頭の下がる思いがしたものです。認定された男性の「他の人の希望になるように」という言葉を大切に、支援者のみなさんと共に今後も運動を進めようと思います。(本多ミヨ子)
※上記のベトナム人収容者6人連名の手紙全文を書き写して、機関紙『LUM85号』(22.9.30発行)に掲載しています。LUMに入会いただければ機関紙を郵送でお届けします。