岡山県労会議・県労倉敷がベトナム人女性をサポート
子どもを産む当然の権利を守るたたかいを支援
ベトナム仏教会「日新窟」の吉水里枝さんから、「ベトナム女性の実習生が逃げてきたので、相談にのってほしい」と連絡が来たのは5月8日でした。
さっそく本多書記長が日新窟を訪問して話を聞くと、岡山県の倉敷にある縫製工場で技能実習生として働く女性のお腹には、赤ちゃんがいました。彼女は、「妊娠がわかると強制帰国させられてしまうから、倉敷の工場から怖くて逃げてきた」と小さな声で語りました。
女性は、日本で子どもを産んで育てたいと願っています。日新窟の僧侶ティック・タム・チーさんが本人の固い意思を電話で会社に伝え、また、本多書記長は、「女性労働者が産休を取得して出産しその後職場復帰するのは当然のこと。会社もそのように対処してほしい」と強く求めました。
5月20日に本人同行のもと、倉敷の会社と直接話し合うこととなりました。今後のことを考えると、地元での支援体制も必要なことから、岡山県労会議の平林事務局長に協力をお願いしたところ、突然の要請にも関わらず、平林事務局長と県労倉敷(地域労連)の片岡議長が会社との話し合いにも参加してくれることになりました。
こうした支援体制のもとで、会社との話し合いの結果、彼女は無事に職場にもどることができました。特筆すべきは、地元での強力なサポート体制です。女性も参加した「支援サポートグループ」を作り、日常的な見守り、通院のサポートに加え、同僚のベトナム人8人とのお茶会や食事会も計画しています。彼女をひとりにしない職場と地域からの支援を考えています。これこそ共生、素晴らしい!
あまりにもひどい 日本の難民政策
迫害されて逃げてきた難民に「帰れ」と言うのか!
毎年6月20日は、国連が定めた「世界難民の日」です。
紛争や迫害によって故郷を追われた人の数は、2018年末で約7,080万人となっており、この1年間で230万人増えています。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、創設以来の70年間で最高レベルになったと発表しています。
誰が好き好んで、それまで築きあげた財産や家族との生活を捨てて、生まれ育った国を出るでしょうか。生きるためにやむにやまれず母国を逃れてきた人たちを、保護・支援することは、人道上当然のことです。しかし、日本政府の難民政策は「最悪!」と言いたくなるほどひどいものです。
世界の常識とかけ離れた日本政府の対応
表1を見てください。世界とのあまりの差に愕然とします。各国が受け入れた難民は、ドイツの14万7千人超に対して、日本はたったの20人にすぎません。
国連の「難民の地位に関する条約」は世界共通なのに、なぜ国によってこんなに差が出てしまうのでしょうか。それは条約の解釈が国によって違うからです。
日本政府の認定基準は「母国の政府から個人的に狙われていること」「難民であるという証明を、証拠に基づいて本人がしなければならない」というもので、着の身着のままで命からがら逃げてきた難民の人権を、何よりも人道的に助けようという立場がありません。世界の常識からかけ離れた前近代的なものです。
証拠を持って逃げてくる難民なんているでしょうか。日本政府は、難民を人道上保護しなければならない対象ではなく、「管理」の対象と見ているのです。トルコなど親日的とされる国からの難民さえも認定しないことも、こうした日本の冷たい姿勢のあらわれです。
申請数は増えても認定数は二桁どまり
世界の難民の数は増え続け、日本に逃れてくる人も増えています。日本での難民申請数は18年以降、1万人を超えていますが、認定数はわずか二桁にとどまっています(表2)。
一人一人に命があり、大事な家族がいて、生活があるのです。申請が不認定になったからと言って、迫害を受けてきた本国に帰ることなどとうていできません。
帰国できず日本で生活する人達に、追い打ちをかける施策の主たるものが「就労の禁止」と「入管施設への収容」です。日本で働く権利も奪われ、家族からも強制的に引き離されてしまうのが、いまの日本のひどい実態です。
その実例を、あるクルド人難民のたたかいから見てみます。
政治犯として長期に迫害された人を難民認定しない日本
しかも東京入管に1年8か月も強制収容
Fさん(38歳)は、トルコ国籍のクルド人難民で、日本政府はいまだに難民認定を拒否しつづけています。
クルド人の自由のためにたたかってきたFさんは、20歳のときにトルコで逮捕され、政治犯刑務所に入れられ、12年間にもわたって虐待を受けてきました。その間、Fさんの家族はドイツやスウェーデンに逃げ、それぞれ難民として認められました。
32歳で刑務所を出所したFさんは、出所後も常に監視がつく状態が続き、身の危険を感じて日本に逃げてきました。Fさんの難民申請に対して、日本政府は「不認定」を通知し、しかも、明確な理由も示さずに2017年10月に東京入管の収容施設に強制収容しました。
Fさんは、日本に来てから知り合ったクルド人女性と結婚し、2歳になる女の子にも恵まれました。家族とも引き離されて、長期の収容がつづいてきました。収容所ではトルコ刑務所での苦しい記憶がよみがえり、精神的に大変不安定な状態になり、一時は支援者と会うことすら拒んで、自傷行為を繰り返し、命の危険すらありました。
支援の仲間の抗議行動、署名等の必死の救出活動の結果、19年6月に「仮放免」を勝ち取りました。ようやく家族のもとに帰ることができ、精神的にも落ち着いてきましたが、仮放免中は就労が禁止されており、健康保険に入ることもできません。依然として、苦しい状況は続いています。
これでは難民条約批准の意味がない
日本政府も批准した国連「難民の地位に関する条約」では、難民とは、「人種、宗教、国籍、政治的意見やまたは特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるかあるいは迫害を受けるおそれがあるために他国に逃れた」人々と定義しています。
この条約に照らし合わせても、自国の政府から迫害を受けたFさんは、難民であることは誰が見てもはっきりしています。事実、家族はドイツやスウェーデンで難民認定を受けています。
Fさんのような人まで難民と認めないのでは、日本が条約を批准した意味がありません。政治的思惑などは排除して、早急に人権が尊重された難民政策を作るべきです。
最近の労働相談より
【その1】会社を辞めると伝えたら、いきなり「国へ帰れ!」
ショートメールのやりとりで一件落着
埼玉県川口市にあるカトリック川口教会から、LUMに電話がかかってきたのは6月11日でした。ベトナム人のマリアさんというシスターの話は、栃木県足利市で働くベトナム人男性2人が、社長にいますぐ国へ帰れと言われて困っているという相談でした。
話を聞くと、本人たちは就労ビザで働いており、強制的に帰国させるのは不当です。本多事務局長が、本人が帰りたくなければ帰る必要はないので、帰らないとはっきり社長に伝えるように教え、とりあえず電話を切りました。
さっそく川口まででかけ、その日のうちに教会でベトナム人男性2人と会いました。会社は建設会社で、彼らは技術・人文知識・国際業務(以下技術・人国)の在留資格で働いていました。全従業員数18人のうち、ベトナム人が13人、中国人1人で、7人のベトナム人が技能実習生の在留資格で働いています。
実習生をふくめてみんな同じ仕事をしていて、就職の際に賃金は21万円と言われていたのに、たった12万円しか支払われなかったことから、「技術・人国」の在留資格を持つ男性2人は、転職のために会社に退職を申し出ていました。そこで社長が、「転職はできないので、辞めるならばすぐ国へ帰れ」などと男性らに迫ったのでした。
「技術・人国」の在留資格は就労が可能であり、転職は自由です。たとえ技能実習生であっても、強制的に解雇はできません。おそらく、これまでに何人もの実習生が強制帰国させられているのではないかと想像されます。
しかも、賃金は約束とは違ううえ、不払い残業も発生していることがわかりました。本人らの要求が、「5月分の12万円と6月10日までの不払い賃金を払ってくれれば、あとは何もいらない。とにかく早く辞めて、次の会社に行きたい」と言うものだったので、それを基本にして、会社と交渉をすすめることにしました。
手始めに本人が社長に電話して要望を伝えると、「賃金は帰国のためのチケット代に使ったから払えない」と言ってあくまでも支払いを拒否しました。そこで、本多事務局長がただちに、「賃金を払わなければ、労働基準監督署に行きます」と社長あてのショートメールを送ると、一転して、「明日、賃金を払う」との返事が先方から返ってきました。
ショートメールのやりとりだけで、無事に解決です。二人はとても喜んでくれました。よかったです。
【その2】「仕事がなくなった」と退職を強要
インド人IT技術者のGさん(36歳)が働いているのは、インドに本社がある多国籍企業の日本支社です。いろいろな会社からプロジェクトを請け負い、技術者をその会社に常駐させてプロジェクトを達成し、終了後はまた別の会社のプロジェクトのために力を尽くすという働き方です。
ところが2019年2月末で1つのプロジェクトが終わった後、次のプロジェクトがない状況が続き、会社から退職を強要されました。家族を養う必要があり、簡単に辞めるわけには行かず、どうしたらいいか絶望的な気持ちだったといいます。
GさんはLUMのホームページを通して相談を持ち込み、さっそく7月に事務所で話を聞きました。そのとき、実はその後に新しいプロジェクトが入り、その会社の面接でGさんの技術力も認められ、翌日から出勤しているとの話を本人から聞きました。
好き勝手にさせないとLUMへの加入を決意
すぐに団体交渉する必要はなくなりましたが、Gさんは「私の技術力に問題があるわけではないのに、なぜ私が辞めなくてはならないんですか」と不満を持っています。また、Gさんと同じように、プロジェクトがないためにやむなく辞めていった人がいたことから、こうした理不尽な退職を繰り返さないためにも、Gさんは組合員としてLUMに加入してくれることになりました。
Gさんが所属する日本支社には、現在、約150人の外国人技術者がいるそうです。Gさんの呼びかけで、もうすぐプロジェクトが終わる友人もLUMに入ると話しており、今後の組織拡大が大いに期待されます。